Recruit求人情報
《 美容師スタイリスト経験者採用 》
有限会社ヘアージャンキー美容師経験者(正社員・パート)採用情報
スタイリスト平均給与支給額 ¥337,640(2022.9現在)です。
一番のこだわりは、「一緒に働いてくれる仲間の幸せを作ること」です。
会社の規模を大きくすることよりも、この会社でよかったと思われることが大切と考えています。
社長挨拶(動画)
※ご注意 音が出ます。
ヘアージャンキー(ヴィラ×テラス)の仕事
トータルビューティー型の美容室です。
コンセプトは「キレイに年齢を重ねる」エイジングケアに特化とした店づくりをしています。
予約されたお客様が中心です。高単価、高品質を提供するために、付加価値の高いメニューを提供しています。
売り方は研修を通じて練習をしますので、難しいことはありません。あなたをサポートしてくれるツールを準備しています。それに従って説明をしていただきます。
ヘアージャンキーの特徴
どの業態とも共通していることは、エイジングケアに特化させているということです。ここに力を集中することで、コンセプトを充実させています。
- 美容室以外にネイル、エステを店内に取り入れております。
ヘアーでは、頭皮環境と髪質改善の両面からアプローチしています。 - 客層は百道浜近隣に住んでいる、ミセス層がターゲットです。土地柄、コンサバティブ(保守系)な方が多いです。
年齢の幅は、広く子供から、年配層まで。中心は30代から60代。男性の割合は2割近くあります。 - 店舗全体の平均リターン率は92.1%(2022年6ヶ月集計)これは業界の中でもトップクラスです。
■お客様に対して以下のことを約束しています。
美に対するワクワク感を裏切ることなく提供します。
いかに日常を楽しく過ごすことができるか。ご自身に自信を持って過ごしていただいています。
- 可能な限り、ご予約時間ぴったりにスタートします。
- 出来上がったスタイルがお気に召さなかったときは2週間以内にお申し出いただくことで、修正をします。お直しのご予約の期限はございません。
- 髪の長さや多さによって、料金の変動はございません。
- 初めて体験されるメニューの価格は、施術開始前にお知らせいたします。
- そうでない場合も、お尋ねしていただくことで、施術前にご提示いたします。
- あらかじめ、施術が終了するお時間をお知らせすることができます。
会社の沿革、概要説明(創業の歴史・ストーリー)
ニューヨークへ行くきっかけ
1991年の秋、JFK空港に到着。
スタッフの方が迎えに来てくれていました。覚えているのは、すでに夜になっていた空港から店に向かうまでの間、早くも日本に帰りたいと思ったのです。
すでにホームシック(笑)心の中で「あー、変なとこに来ちゃたなぁ」と思いました。
当時の日本は、バブル真っ盛り。ファションは”ワンレンボディコン”と言われた時代。街にはロングのワンレングスかソバージュと呼ばれたウェーブヘアが主流の時代でした。
カットといえばワンレングスなので、「どれくらい切りますか?」がお客さんに聞くセリフ。お客さんは「2cm切って」と答え、2cm切る作業。毎日この繰り返し。飽き飽きした。
今でこそ、ヘアカラーしていて普通の時代ですが、その当時、ヘアカラーしている人は、ヤンキーと呼ばれる時代…。
白髪染めももちろんあったのですが、真っ黒に染めるのが当たり前だった気がします。
これから、ヘアカラーの時代が必ず来ると確信して、ニューヨークに行こうと思ったのがきっかけです。最初はカラーを習得したかったのです。誰もやっていないから…。
毎日何人もアルミ箔を使ったカラーリング(ハイライト)をしました。
当時も今も白人種の方達のブロンドヘアは、ほぼヘアカラーで作られています。それをいかに自然に見せるかが、カラーリストの腕なのです。
もともとこのテクニックは、子供の髪が夏になると日焼けして明るくなって、自然にブロンドになることを模したカラーリング。
お客さんが喜んでくれると、やっているこっちも当然嬉しいし、チップも弾んでくれました。
ドライカットとの出会い
ある時、「ドライカットって知ってる?」と店のスタッフから聞かれました。
聞いたことも無かったです。「乾いた髪を切るの?」
「まあ、そうらしいけど・・・そのカット見てみたいか」って。
オーナーが友達らしいのです。
日本人のドライカットの第一人者、山根英治さんのカットを間近で見ました。
1時間半もかけてカットしていました。料金は$300ですと。
そのディスカッションの中で「この世で、一番美しいスタイルを作りたい。そう思って日々過ごしてきた。
今日も、今まで切った中で、最高のスタイルを作るつもりで切った」「そういうのが愛なんじゃないかな」なんて言っていました。
愛なんて言葉は、聞いたり、自分で言ってみるのもなんか恥ずかしい感じがして、人前でよくそんなこと言えるなぁって思いました。でも、キザな感じは全くしなかったのです。
愛と理念、そして帰国
それからというもの、なんか「愛」って言葉が心の中に残っていました。
お客さんの為に一生懸命になること。他のスタッフの為に一生懸命になること。社会の為に努力すること。なんか、 この一言で全てが解決するような、なんかそんな感じがしてしょうがなかったのです。
この愛って言葉は、その後のヘアージャンキーの経営理念に繋がっていくようになります。
それから、みんなで特訓!ただでさえ長いレッスンが、さらに長くなるぅ
そうこうしているうちに3年の月日が流れ、1994年夏に帰国しました。
帰国前に少し迷いました。
日本で独立するか、ニューヨークに留まるか。既にグリーンカード(永住権)を取得していましたし、カラー専門店で働いてもみたかったのです。
なぜ、帰国したのでしょうか。
最初に書きましたが、 2cm切ってと言われ、2cm切るのが退屈だったと…今なら、その時の自分に戻っても、退屈しないことが解ったからです。
気がつかなかったのです…その当時は…お客様になぜ2cm切りたいか聞いてもいなかったのです。そこには様々な理由があるはずなのに…。
伸ばしたいから、できるだけ切りたくないのか。前回のスタイルに戻したいから?枝毛を切りたいから?
2cmがベストの判断だと決めて、カットするのは美容師の仕事ですよね。
もしそれがベストと思わなければ、他の提案ができるはずです。
今、日本にいる美容師はそんなことも思わずに仕事をしている。(していた)そこを自分が伝えないといけないと思うようになりました。
「かわいそうに、皆んな退屈しているのだろう」そんな風に思いました。
そんな仕事を繰り返していると、お客様は「あなたでないといけない」とは、一生言ってくれません。誰でもいい美容師になってはいけないのです。
唯一無二の美容師を作りたい。美容師という職業を選択して良かったと、思ってもらいたい。そう考えるようになりました。
それにニューヨークに居ても日本に居ても、やることは一緒なのです。
場所でどうこうなるものではないことも分かりました。ニューヨークの一番流行っているサロンに行った時も、やっていることは変わらないと思いました。
目の前のお客様を喜ばせてまたリターンしてもらう。この繰り返しです。
喜ばせ方が人によって違うだけです。話し上手な美容師、腕一本でやっている美容師。それぞれですね。
出店準備
帰国して、勤める美容室を探しました。独立前に日本の感覚に戻る必要があると思ったからです。
ニューヨーク帰りというライセンスみたいなものがあるから、すぐに使ってくれる店はみつかると思っていましたが、見つからない。逆にそれが邪魔だったんだと理解しました。
すぐさま出店に向けて準備しなければなりませんが、持っているお金は$10000(約100万円)どうもなりません。
銀行に融資の申し込みをしても、日本での実績がないので、貸してくれない。
いろいろな場所を見て回りましたが、ここがいいと決めていたところがあります。
百道浜です。ここはインターナショナルスクールもあり、外国人の方も多く暮らしている。
なにより、お客さんの層は自分の得意とする層だと思っていました。
ここには美容室が無かったし、新しい街でもあるので、美容室を探している人は多いはず。ただ、賃貸物件はなく、すべて分譲だったのです。
困りました。売り出し価格が5500万円。販売センターに行ってカタログをもらいましたが、案内の人に「ここがどういう場所かご存知ですか。」なんて言われて…これで、内装したら7000万は下らないはずです。
今考えたら、そりゃ言われます。当時27歳、若い兄ちゃんが、出店できるようなところではありませんから。
住居にするなら、そこを担保にしてお金を借りることができるのですが、商業用に購入するなら先に登記されていないと、融資出来ないと銀行からの返答でした。つまり、現金で購入した後でないと借金できないのです。
家中ひっくり返しても、そんなお金はなかった。とにかく1日だけでもお金を用立てる必要がありました。
親の生命保険を解約させて、定期預金もすべて引き出し、親父の退職金を前借りさせ、親戚中回ってお金を集め、タンスを動かして10円玉を集める感じでした。
よく親も付き合ってくれたと思います。親戚もよく貸してくれたと思います。本当に感謝です。
ご恩は一生忘れません。これで失敗したら、死ぬかアメリカに逃げるしかない。本気でそう思っていました。
それでもお金は集まらなかったのです。販売センターにお願いして5000万まで価格を落としてもらっていましたが、あと500万足りない。
これでダメだったら諦めよう。そう思っていました。数日して販売センターから連絡が入りました。株主との合意が決まり、OKがでたと。
”神様は本当にいるのかもしれない”そう思える瞬間でした。
購入前夜、何度もお金を数えました。ちゃんと本当に揃っているか。
キャッシュを紙袋に入れ、抱えるようにして振り込んだことを覚えています。
1995年2月10日
HAIR JUNKIE OF NEW YORKは開店しました。
この店名が会社の名前になるのですが、最初にヘアージャンキーって名前に”どんな印象をお客様が持つかなぁ”と考えました。
これ実は雑誌のVogueから取ったもので、ペラペラページをめくっていたら、ヘアージャンキーというタイトルを見つけたのです。
ヘアージャンキーって、「髪にハマった人とか溺れた人」っていう意味ですごくクールに感じました。
高級な美容室にありえるだろうかと色々考えましたが、あのVogueが使っているくらいだから英語圏の方も眉をひそめることはないだろうと決意しました。
スタッフは完全週休2日を当時から採用しました。アメリカではそれが普通だったので。
当然、自分は6日働きました。カットできるのは自分しかいなくて、あとの3人はアシスタントだったのです。
最初の3年はものすごく長い3年だったように感じました。もう10年くらい経っている感じ。そこから先は転げるように1年が短いのです。
会社になったとき
2000年に法人成りしました。別に難しいことは考えずに、そのようにアドバイスされたと思います。
実際に経営を考えるようになった、きっかけでもありました。
個人商店の場合、銀行通帳は個人の名義なんです。 その口座に残っているお金をすべて、法人の口座に移すように指示がありました。
今考えると、別口座に自分の給料分を入れるようにしておけば良かったと思うのですが、当時はそんなことをしていなかったので、必死で同じ口座にお金を貯めていました。
結局、自分の資産すべてを会社に取られたような感覚です。みごとにスッカラカンになりました。
今までは自分自身が会社だったのに、自分と会社を分けて考えられるようになるまで、数年かかったと思います。
こういう事です。プライベートで飲みに行きました。帰りにタクシー使います。これを経費計上するかしないか。
以前は当然のように経費計上していました。ついでにプライベートなのに接待交際費で飲み代も計上。
これが経営者の特権と思っていたのです。
今はこのように理解しています。もしスタッフが同じ事をして経費に計上していいかどうかです。会社のお金を使うという事はそういう事と思います。
スタッフがダメで、社長はいいなんて、それは会社ではないのです。
そこの切り替えができた瞬間から、スタッフの幸せを考えるようにもなったと思います。
そして理念
経営理念は「そこに愛はあるか」なんですが、会社になる前の愛はお客様に向けられたもので、スタッフには向いていなかったんだろうなと思います。
現在は「そこに愛はあるか」の後に
ヘアージャンキーは社会に愛を注げ
社長は社員に愛を注げ
社員はお客様に愛を注げ
ヘアージャンキーとはお客様の外見を美しくする事で、お客様の内面をも豊かにし、喜びを分かち合い、期待以上のお返しをする事で、さらに気持ちに応えていただける、愛の成長集団です。
この方針は今までの美容師人生のエッセンスを結晶化させたものだと思っています。
ニューヨークで働いていた時に思った事。やっている事は難しい事ではなく、単純にお客様に喜んでいただいてリターンしてもらう事。喜んでいただく為には、期待値を超えなければいけない事。それを常に成長させる事。
そして、この方針には、髪を美しくするとは書いていなくて外見を美しくとしてあります。当初から、おぼろげにトータルビューティー化を目指していました。
それは、この10年後に実現したのです。
大切に思っていること
組織はできるだけ、フラットにした方が良いと考えています。
自分の意見や考えを言いやすい、また取り入れてもらいやすい組織です。アサーティブ(誠実、率直、対等、自己責任)な関係を築くようにしています。
これはやはり、ニューヨークで修業したことが強く影響しています。
自分でサロンを持った時は、スタッフのそれぞれがお客様と向き合い、磨き合い、また協力し合えるサロンはできないものかずーっと考えていました。
行き着いた答えはアサーティブという言葉でした。
今のヘアージャンキーの現状がパーフェクトとは思えません。理想としているものには先が長いと思います。