私の美容師人生の始まり The beginning of my hairdresser life
1991年の秋、ジョン・F・ケネディ国際空港に到着。
スタッフの方が迎えに来てくれていました。
すでに夜になっていた空港から店に向かうまでの間、早くも日本に帰りたいと思ったことは、いまでも鮮明に覚えています。
いわば、到着の瞬間、すでにホームシック(笑)
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当時の日本はといえば、バブル真っ盛り。
ファションは”ワンレンボディコン”、ヘアースタイルはロングのワンレングスかソバージュと呼ばれた”ウェーブヘア”が主流の時代。
「カットといえばワンレングス」というワンパターンが当たり前で、お店に来たお客さんには、「どれくらい切りますか?」と聞くのが鉄板。
お客さんが「2cm切って」と答えれば、2cm切るだけの作業が仕事。
美容師なのに、指定された長さをカットするだけの繰り返し。飽き飽きしました。
今でこそ、ヘアカラーが普通の時代ですが、その当時、ヘアカラーしている人は、ヤンキーと呼ばれる時代…。
白髪染めももちろんあったのですが、真っ黒に染めるのが当たり前でした。
そんな日々から脱出すべく、これからヘアカラーの時代が必ず来ると確信して、ニューヨークに行こうと決意。
当時日本ではまだ誰もやっていない、カラー技術を習得したかった。
その決断が後に、私の人生を変えることになったのです。
私の「原点」となった言葉 my starting words
N.Yでは来る日も来る日も、アルミ箔を使ったカラーリング(ハイライト)をしていました。
当時も今も、白人種の方達のブロンドヘアは、ほぼヘアカラーで作られています。
それをいかに自然に見せるかが、カラーリストの腕の見せどころです。
もともとこのテクニックは、子供の髪が夏になると日焼けして明るくなって、自然にブロンドになることを模したカラーリング。
お客さんが喜んでくれると当然嬉しいし、チップも弾んでくれました。
ある時、「ドライカットって知ってる?」と店のスタッフから聞かれました。
今まで耳にしたこともなかった「ドライカット」というワード。
ことばの通り、乾いた髪をカットするという、当時からすれば斬新な技法です。
日本人のドライカットの第一人者、山根英治さんのカットを間近で見せてもらう機会がありました。
1時間半もかけてカットしていることに衝撃を受けました…
そんな中で山根さんの口から発せられた、こんな言葉がとても印象的でした。
「この世で、一番美しいスタイルを作りたい。そう思って日々過ごしてきた。
今日も、今まで切った中で、最高のスタイルを作るつもりで切った」
「そういうのが愛なんじゃないかな」と。
愛と理念、そして帰国 Love, Philosophy, and Returning Home
それからというもの、「愛」という言葉が、私の心の中にずっと残っていました。
お客さんの為に一生懸命になること。他のスタッフの為に一生懸命になること。社会の為に努力すること。
この一言で全てが解決するような、そんな気がして仕方なかったのです。
その後、この「愛」という言葉は、ヘアージャンキーの経営理念に繋がっていきます。
刺激のある毎日はあっという間に過ぎ去り、3年の月日が経った1994年夏、日本に帰国となるのですが、
日本で独立するか、ニューヨークに留まるか、迷いました。
既にグリーンカード(永住権)を取得していましたし、カラー専門店で働いてもみたい気持ちもありました。
ではなぜ、帰国したのか。それは、「2cm切ってと言われたら2cm切る」というような、
言われた通りに仕事をこなす、退屈だった日々を変えられる確信が持てたから。
その当時は、「なぜ2cm切りたいのか」、お客様に聞くことすらしていなかったのです。
伸ばしたいから、できるだけ切りたくないのか?
前回のスタイルに戻したいから2cmだけ切りたいのか?
枝毛を切りたいだけなのか?
2cmカットがベストだと判断し、カットするのは美容師の仕事です。
それがベストと思えなければ、他の提案ができるはず。
今、日本にいる美容師の大半は、過去の私のように、退屈でやりがいの感じない日々を過ごしているという現実があります。
退屈な仕事を繰り返していると、お客様から、「あなたに切って欲しい」といってもらうことはできません。
あなたは、「どこにでもいる資格を持っただけの美容師」になってはいけないのです。
唯一無二の美容師を育てたい。せっかく選んだ美容師という職業を、選択して良かったと思ってほしい。そう考えるようになりました。
美容師ひとりひとりが、それぞれの強みを活かして、お客様に喜んでもらう。
その結果、唯一無二の美容師になることができるのです。
HAIR JUNKIE、開店! February 10, 1995
出店準備は苦労しました。
そこにはいろんなドラマがあったは言うまでもないのですが…
ついにこの日、HAIR JUNKIE OF NEW YORKは開店しました。
アメリカでは当たり前のことですが、オープン当初から、スタッフは完全週休2日を採用しています。
オープン当初、私以外3名はアシスタントだったので、カットできるのは私だけ。
最初の3年はとにかく忙しく、1日に20人以上のお客様を迎えることもありました。
お店の営業が終わればスタッフのレッスンを行ったりと、寝る寸前まで仕事をしていたように思います。
そして、理念 and philosophy
ニューヨークで働いていた時にわかったこと。
それは、目指すべきことは難しい事ではなく、お客様に喜んでいただき、再度来店してもらうこと。
喜んでいただく為には、期待値を超えなければいけない事。常に努力を重ねて成長すること。
それができなければ、やりがいのある美容師人生を送ることができません。
HAIR JUNKIEの経営理念は、前述の通り、「そこに愛はあるか」です。
会社になる前のその「愛」は、お客様に向けられたもので、スタッフには向いていませんでした。
現在は「そこに愛はあるか」の後に、
「ヘアージャンキーは社会に愛を注げ、社長は社員に愛を注げ、社員はお客様に愛を注げ」としています。
外見を美しくすることでお客様の内面をも豊かにし、喜びを分かち合い、
期待以上のお返しをする事でさらに気持ちに応えていただける、愛の成長集団です。
この方針は、私の今までの美容師人生のエッセンスを結晶化させたものです。
「髪を美しく」のみにとどまらず、「外見を美しく」としています。
当初から、おぼろげにトータルビューティー化を目指していました。
それはその後10年を経て、実現となりました。