もくじ
Recruit有限会社ヘアージャンキー美容師アシスタント経験者採用情報(正社員・パート)
《 美容師アシスタント経験者採用》
(正社員・パート)
ここは自分が出せる場所 あなたらしく働きたいですか?
偽りの自分で過ごすか、素のあなたのままで過ごすか。
あなたらしく過ごしたい
のであれば、この先を覗いてみませんか?なぜ、そうできるのか伝えましょう。
社長挨拶(動画)
※ご注意 音が出ます。
ヘアージャンキー(ヴィラ×テラス)の仕事
施術はヘアーの場合ですと、もちろん似合うようにスタイルを作るのですが、ヘアースタイルを通して、頭の骨格がいかに綺麗に見えるかを重視しています。
本人以外は正面からヘアースタイルを見ることはほとんどありません。
なので、どこから見ても似合っているスタイルを目指しています。
ヘアーでは、ヘアカラーとドライカットに力を入れており、家に帰った後のお手入れのし易さや、再現性にこだわりがあります。
• 客層は百道浜近隣に住んでいる、ミセス層がターゲットです。土地柄、コンサバティブ(保守系)な方が多いです。年齢の幅は、広く子供から、年配層まで。中心は30代から60代。男性の割合は2割近くあります。
• 店舗全体の平均リターン率は91.7%(2018年)これは業界の中でもトップクラスです。
• 出来上がったスタイルがお気に召さなかったときは2週間以内にお申し出いただくことで、修正をします。お直しのご予約の期限はございません。
• 髪の長さや多さによって、料金の変動はございません。
• 初めて体験されるメニューの価格は、施術開始前にお知らせいたします。
• そうでない場合も、お尋ねしていただくことで、施術前にご提示いたします。
• あらかじめ、施術が終了するお時間をお知らせすることができます。
会社の沿革、概要説明(創業の歴史・ストーリー)
ニューヨークへ行くきっかけ
1991年の秋、JFK空港に到着。
スタッフの方が迎えに来てくれていました。覚えているのは、すでに夜になっていた空港から店に向かうまでの間に、日本に帰りたいと思ったのです。
すでにホームシック(笑)心の中で「あー、変なとこに来ちゃたなぁ」と思いました。
当時の日本は、バブル真っ盛り。ファションは”ワンレンボディコン”と言われた時代。街にはロングのワンレングスかソバージュと呼ばれたウェーブヘアが主流の時代でした。
カットといえばワンレングスなので、「どれくらい切りますか?」がお客さんに聞くセリフ。
お客さんは「2cm切って」と答え、2cm切る作業。毎日この繰り返し。飽き飽きした。
今でこそ、ヘアカラーしていて普通の時代ですが、その当時、ヘアカラーしている人は、ヤンキーくらいで、カラーしているとヤンキーと呼ばれる時代…。
白髪染めももちろんあったのですが、真っ黒に染めるのが当たり前だった気がします。
これから、ヘアカラーの時代が必ず来ると確信して、ニューヨークに行こうと思ったのがきっかけです。最初はカラーを習得したかったのです。誰もやっていないから…。
毎日何人もアルミ箔を使ったカラーリング(ハイライト)をしました。
当時も今も白人種の方達のブロンドヘアは、ほぼヘアカラーで作られています。それを如何に自然に見せるかが、カラーリストの腕なのです。
もともとこのテクニックは、子供の髪が夏になると日焼けして明るくなって、自然にブロンドになることを模したカラーリング。
お客さんが喜んでくれると、やっているこっちも当然嬉しいし、チップも弾んでくれました。
ドライカットとの出会い
ある時、「ドライカットって知ってる?」と店のスタッフから聞かれました。
聞いたことも無かったです。
「乾いた髪を切るの?」
「まあ、そうらしいけど・・・そのカット見てみたいか」って。オーナーが友達らしいのです。
日本人のドライカットの第一人者、山根英治さんのカットを間近で見ました。
1時間半もかけてカットしていました。料金は当時$300でした。
そのディスカッションの中で「この世で、一番美しいスタイルを作りたい。そう思って日々過ごしてきた。
今日も、今まで切った中で、最高のスタイルを作るつもりで切った」「そういうのが愛なんじゃないかな」なんて言っていました。
愛なんて言葉は、聞いたり、自分で言ってみるのもなんか恥ずかしい感じがして、「人前でよくそんなこと言えるなぁ」って思いました。でも、キザな感じは全くしなかったのです。
愛と理念、そして帰国
それからというもの、なんか「愛」って言葉が心の中に残っていました。
お客さんの為に一生懸命になること。他のスタッフの為に一生懸命になること。社会の為に努力すること。なんか、この一言で全てが解決するような、なんかそんな感じがしてしょうがなかったのです。
この愛って言葉は、その後のヘアージャンキーの経営理念に繋がっていくようになります。
それから、みんなで特訓!ただでさえ長いレッスンが、さらに長くなるぅ
そうこうしているうちに3年の月日が流れ、1994年夏に帰国しました。
帰国前に少し迷いました。
日本で独立するか、ニューヨークに留まるか。既にグリーンカード(永住権)を取得していましたし、カラー専門店で働いてもみたかったのです。
なぜ、帰国したのでしょうか。
最初に書きましたが、2cm切ってと言われ、2cm切るのが退屈だったと…今なら、その時の自分に戻っても、退屈しないことが解ったからです。
気がつかなかったのです…その当時は…お客様になぜ2cm切りたいか聞いてもいなかったのです。そこには様々な理由があるはずなのに…。
伸ばしたいから、できるだけ切りたくないのか。前回のスタイルに戻したいから?枝毛を切りたいから?
2cmがベストの判断だと決めて、カットするのは美容師の仕事ですよね。
もしそれがベストと思わなければ、他の提案ができるはずです。
今、日本にいる美容師はそんなことも思わずに仕事をしている。(していた)そこを自分が伝えないといけないと思うようになりました。
かわいそうに、皆んな退屈しているのだろう、そんな風に思いました。
そんな仕事を繰り返していると、お客様は「あなたでないといけない」とは、一生言ってくれません。誰でもいい美容師になってはいけないのです。
唯一無二の美容師を作りたい。美容師という職業を選択して良かったと、思ってもらいたい。そう考えるようになりました。
それにニューヨークに居ても日本に居ても、やることは一緒なのです。
場所でどうこうなるものではないことも分かりました。ニューヨークの一番流行っているサロンに行った時も、やっていることは変わらないと思いました。
目の前のお客様を喜ばせてまたリターンしてもらう。この繰り返しです。喜ばせ方が人によって違うだけです。話し上手な美容師、腕一本でやっている美容師。それぞれですね。
出店準備
帰国して、勤める美容室を探しました。独立前に日本の感覚に戻る必要があると思ったからです。
ニューヨーク帰りというライセンスみたいなものがあるから、すぐに使ってくれる店はみつかると思っていましたが、見つからない。逆にそれが邪魔だったんだと理解しました。
すぐさま出店に向けて準備しなければなりませんが、持っているお金は$10000(約100万円)どうもなりません。
銀行に融資の申し込みをしても、日本での実績がないので、貸してくれない。
いろいろな場所を見て回りましたが、ここがいいと決めていたところがあります。
百道浜です。ここはインターナショナルスクールもあり、外国人の方も多く暮らしている。
なにより、お客さんの層は自分の得意とする層だと思っていました。ここには美容室が無かったし、新しい街でもあるので、美容室を探している人は多いはず。ただ、賃貸物件はなく、すべて分譲だったのです。
困りました。売り出し価格が5500万円。販売センターに行ってカタログをもらいましたが、案内の人に「ここがどういう場所かご存知ですか。」なんて言われて…これで、内装したら7000万は下らないはずです。
今考えたら、そりゃ言われます。当時27歳、若い兄ちゃんが、出店できるようなところではありませんから。
住居にするなら、そこを担保にしてお金を借りることができるのですが、商業用に購入するなら先に登記されていないと、融資出来ないと銀行からの返答でした。つまり、現金で購入した後でないと借金できないのです。
家中ひっくり返しても、そんなお金はなかった。とにかく1日だけでもお金を用立てる必要がありました。
親の生命保険を解約させて、定期預金もすべて引き出し、親父の退職金を前借りさせ、親戚中回ってお金を集め、タンスを動かして10円玉を集める感じでした。
よく親も付き合ってくれたと思います。親戚もよく貸してくれたと思います。
本当に感謝です。ご恩は一生忘れません。
これで失敗したら、死ぬかアメリカに逃げるしかない。本気でそう思っていました。
それでもお金は集まらなかったのです。販売センターにお願いして5000万まで価格を落としてもらっていましたが、あと500万足りない。
これでダメだったら諦めよう。そう思っていました。数日して販売センターから連絡が入りました。株主との合意が決まり、OKがでたと。”神様は本当にいるのかもしれない”そう思える瞬間でした。
購入前夜、何度もお金を数えました。ちゃんと本当に揃っているか。
キャッシュを紙袋に入れ、抱えるようにして振り込んだことを覚えています。
1995年2月10日
HAIR JUNKIE OF NEW YORKは開店しました。
この店名が会社の名前になるのですが、最初にヘアージャンキーって名前に”どんな印象をお客様が持つかなぁ”と考えました。
これ実は雑誌のVogueから取ったもので、ペラペラページをめくっていたら、ヘアージャンキーというタイトルを見つけたのです。
ヘアージャンキーって、髪にハマった人とか溺れた人っていう意味ですごくクールに感じました。
高級な美容室にありえるだろうかと色々考えましたが、あのVogueが使っているくらいだから英語圏の方も眉をひそめることはないだろうと決意しました。
スタッフは週休2日を当時から採用しました。アメリカではそれが普通だったので。当然自分は6日働きました。カットできるのは自分しかいなくて、あとの3人はアシスタントだったのです。
最初の3年はものすごく長い3年だったように感じました。もう10年くらい経っている感じ。そこから先は転げるように1年が短いのです。
会社になったとき
2000年に法人成りしました。別に難しいことは考えずに、そのようにアドバイスされたと思います。
実際に経営を考えるようになった、きっかけでもありました。
個人商店の場合、銀行通帳は個人の名義なんです。その口座に残っているお金をすべて、法人の口座に移すように指示がありました。
今考えると、別口座に自分の給料分を入れるようにしておけば良かったと思うのですが、当時はそんなことをしていなかったので、必死で同じ口座にお金を貯めていました。
結局、自分の資産すべてを会社に取られたような感覚です。みごとにスッカラカンになりました。今までは自分自身が会社だったのに、自分と会社を分けて考えられるようになるまで、数年かかったと思います。
こういう事です。プライベートで飲みに行きました。帰りにタクシー使います。これを経費計上するかしないか。
以前は当然のように経費計上していました。ついでにプライベートなのに接待交際費で飲み代も計上。
これが経営者の特権と思っていたのです。
今はこのように理解しています。もしスタッフが同じ事をして経費に計上していいかどうかです。会社のお金を使うという事はそういう事と思います。
スタッフがダメで、社長はいいなんて、それは会社ではないのです。
そこの切り替えができた瞬間から、スタッフの幸せを考えるようにもなったと思います。
現在は毎月の決算書類をスタッフと共有して会議に使用しています。
そして理念
経営理念は「そこに愛はあるか」なんですが、会社になる前の愛はお客様に向けられたもので、スタッフには向いていなかったんだろうなと思います。
現在は「そこに愛はあるか」の後に
ヘアージャンキーは社会に愛を注げ
社長は社員に愛を注げ
社員はお客様に愛を注げ
ヘアージャンキーとはお客様の外見を美しくする事で、お客様の内面をも豊かにし、喜びを分かち合い、期待以上のお返しをする事で、さらに気持ちに応えていただける、愛の成長集団です。
この方針は今までの美容師人生のエッセンスを結晶化させたものだと思っています。
ニューヨークで働いていた時に思った事。やっている事は難しい事ではなく、単純にお客様に喜んでいただいてリターンしてもらう事。喜んでいただく為には、期待値を超えなければいけない事。それを常に成長させる事。
そして、この方針には、髪を美しくするとは書いていなくて外見を美しくとしてあります。当初から、おぼろげにトータルビューティー化を目指していました。それは、この10年後に実現したのです。
大切に思っていること
組織はできるだけ、フラットにした方が良いと考えています。
自分の意見や考えを言いやすい、また取り入れてもらいやすい組織です。アサーティブ(誠実、率直、対等、自己責任)な関係を築くようにしています。
これはやはり、ニューヨークで修業したことが強く影響しています。アメリカのサロンで働いていたので、そのように思ったのかと思われがちですが、全くその逆です。その当時の印象ですが、強烈なトップダウン型の経営でした。どのように行動するのがいいのか、お客様の顔では無く、社長の顔を見ていました。また、うっかりサロンの愚痴を他のスタッフに漏らしてしまったら、それを密告するスパイのようなスタッフもいて、誰も信用できないと思って過ごすことも長かったように感じます。
誤解のないようにお伝えしますが、現在の自分自身があるのはそのサロンのおかげです。毎晩練習を見てくれて、厳しく教えてくれた社長や先輩のおかげで、私が社員を持つまでになりました。
日本を出国する際に、友達や家族から「頑張れよ」って言ってもらい送り出された以上、一旗揚げるまでは日本に帰る選択はなかったのです。
ただこんな雰囲気の中で働いていたので、自分でサロンを持った時は、スタッフのそれぞれがお客様と向き合い、磨き合い、また協力し合えるサロンはできないものかずーっと考えていました。
行き着いた答えはアサーティブという言葉でした。今のヘアージャンキーの現状がパーフェクトとは思えません。理想としているものには先が長いと思います。
募集理由
美容師の場合、一生シャンプーだけして生きていきたい。という方は非常に稀です。できるだけ早く、アシスタントから、スタイリストになるという目標を持つ方がほとんどです。
社員のキャリア形成の為には店舗拡大が必要です。
その為には新人を採用する必要があります。
勤務年数が上がるにつれ、経験も向上します。
そうなると、次のステージを準備するのは、会社としての使命と考えています。
教育体制・評価制度
週に1回程度、担当スタイリストがマンツーマンで実施。
カットの練習までのカリキュラムは、一人の担当者が入客させていいと思ったら、テスト無しで入客できるようにしています。
これは、テストとなると緊張して思った結果につながらないケースが多いからです。普段ならできることができなくなってしまうことを防ぎます。
プレーンリンス(コームスルーまで) |
シャンプー(マッサージまで) |
ヘッドスパ(メニュー説明、カウンセリング含む) |
トリートメント塗布(理論、メニュー説明、カウンセリング含む) |
カラー塗布(白髪染め、おしゃれ染め) |
スケルトンブロー |
頭皮診断とカウンセリング(スパ、トリートメント総合ケアリスト) |
縮毛矯正(ツインブラシブローとストレートアイロン) |
ブロー(ストレートロング、ミセス) |
ロールアイロン |
2年目以降は、自分でスタイルを組み立ててデザインすることを目的にしています。ウィッグでの練習に合格したら、いよいよモデルでの実践です。
ワインディング | パーパス・逆巻き・ビッグロッド |
パーマ理論(ホット系パーマも) | |
カット | ウィッグウエッジー横スライスー斜めチェック |
カット | ウィッググラボブー縦スライス |
ウィッグ刈り上げ | |
カラー理論と調合 | |
ハイライト塗布とテクニック | |
モデル100人リターン50人(アンケート実施) |
成長評価制度について
目的はプロセスによる評価を採用したからです。現在でもほとんどの美容室、他の業態の会社も含めて結果に対する報酬を払っています。今までは我々もそうでした。
なぜ、結果に対する報酬からプロセスに対する報酬に変えるのか。
結果に対する報酬はいわゆる歩合給ってやつです。いくら売り上げたら、いくら渡します。という感じの・・・。そこのいくら売り上げたらのところにこのようにしてくださいはありません。各々やりたいようにやります。もちろん、アドバイスや助言は当然します。それでも、個人個人差が出てきます。それは何でしょうか。
分かり易いように、ワインディング(ロッド巻き)に例えて考えてみましょうか。どこかの競技大会で入賞すると目標を設定したとします。この場合どうするのが最短でしょうか。
もし過去に競技大会で優勝した人がいたとしたら、その人を全員でそっくり真似することです。ワインディングも小さな行動の集合体ですので、いくつかの重要な行動を洗い出し、そこを集中して特訓するのです。
話を戻しますと、ワインディング大会に入賞したら、賞金をいくら出します。これが従来の歩合給だったとします。成長評価制度は、洗い出した重要な行動のうち、これができたらこれだけ賞金です。これができたらこれだけです。という感じで、入賞しなくてもその行動に対して歩合を発生させるシステムです。
現在もテスト運用中ですが、近い将来にはこの査定に切り替えます。
3ヶ月に1度、下記の成長シートという評価シートを使い、まずご自身で点数を入れていきます。
店長、ディレクター、社長の3人と面談し、ご自身の力を入れている所等を聞き取り、1ヶ月後を目安にフィードバックします。
成長評価制度(美容師用)です。
現在のモデル賃金です。会社の業績や個人の成長の度合いで変化します。
業界の将来性と会社の将来性
1年後には海上コンテナ店や、小規模のサロンを1〜2軒出店したい。
3年後には成功した店舗を移転させ、大型化し、さらに小型店の出店も続ける。
その為には、社員の教育や成長を促すよう努力しなければなりません。
スタッフが成長したら、当然集客もして行かなければなりません。
あなたが当社で手に入れるもの(入社するメリット)
* アシスタント時代にお客様との接し方を覚えていただきます。
* その後の美容師として生活できるまでのスキル。
* お友達、ご親戚は2割引
* ご自身は5割引(営業時間中)
* ご自身が営業時間外でモデルをした場合は無料
* ご自身が営業時間外でご自身のオーダーに寄るのもだったら¥1000
* 秋には社員旅行があります。去年は沖縄に2泊3日(自由参加)
しっかり売れる美容師にします。その先にある、個人の夢や目標を共に作っていきましょう。
そのためにこの会社は存在します。
学生さんが先輩にインタビュー
2021.6.1 会社説明会 [先輩スタッフが思う事全部話します]
職場写真(内観、働く場所)
バックルーム公開します。雑然としていますので、今までと流れが変わります。(笑)同じ店です。
レッスン風景
募集要項(一覧表)
募集職種 | 美容師アシスタント(中途採用) |
---|---|
雇用形態 | 正社員 パート(平日勤務できる方・週末も勤務できる方)扶養内で働きたい方もOKです |
採用人数 | 若干名 |
初任給 | (正)¥180,000~(基本給¥165,000+資格手当¥5,000+成長給40点の場合¥10,000) (パ)時給¥950〜 |
通勤費 | (正)上限¥10000、(パ)上限¥5000、公共交通機関の3ヶ月定期代を一月に換算して支給。車通勤は駐車場契約をご自身で行うようにお願いしています。 |
残業代 | 時間外の営業や出勤をした場合は別途残業代(基本給×1.25)を支給しています。 |
諸手当 | 勤続給(勤続年数が上がるたびに¥1000アップ) 成長給(3ヶ月に一度、成長評価) 店販手当(商品売上の10%支給) 資格手当(美容師免許取得者¥5000、管理美容師取得者¥10000) |
賞与 | 利益の1/3を正社員に分配しています。 |
給与査定 | 有り。3ヶ月に1回成長評価にて決定。4月、7月、10月、1月 |
人事評価 | 上記の給与査定と連動しています。3ヶ月に1度、店長、ディレクター、社長の3人と面談し、ご自身の力を入れている所等を聞き取り、フィードバックします。 |
加入保険 | 労災、雇用保険、社会保険、厚生年金 |
定年 | 60歳に設定しています。65歳まで延長できる体制があります。 |
退職金制度 | 現在のところありません |
福利厚生 | 育児休業制度の取得実績は100%です。平均して6ヶ月〜1年間取得しています。本人の希望による、外部の研修会は会社が研修代の半額を負担。(趣味でない事が条件) |
制服 | 美容師はありません |
休日 | 毎週月曜日定休他毎週1日休み(年間休日105日) お盆休み:その年により、お盆休みは閉店させるか、もしくはシフトにより4日間連休です。 年末年始:基本的に年明けより5日連休 |
勤務地 | 現在のところ、福岡市早良区百道浜です。店舗が複数になった場合は、転勤もあります。 |
スキルの学び方 | 週に1度、担当スタイリストがマンツーマンでレッスンします。他の4日は自主トレです。担当スタイリストより合格をもらって、その施術に入ることができます。
カットをレッスンするようになると、検定があります。検定ではスタイルの着目点を事前に採点用紙に示してあります。こうすることで、評価者の採点のばらつきを抑えています。 |
応募資格 | このホームページを見て会社の考えや理念に共感できるかた |
選考内容 | 書類選考(履歴書到着後約2日以内、電話連絡の際に面接日を決定します) ↓適性検査(テストセンターorパソコンをお持ちであれば、ご自宅で受験) ↓面接(面接日に体験入社日を決定いたします) ↓体験入社1日間(採用決定まで約1週間) ↓採用 |
勤務開始日 | 相談にて |
先輩社員の出身校 | 大村美容ファッション専門学校、福岡美容専門学校、福岡ビューティーアート専門学校、福岡ベルエポック美容学校 |
応募方法
電話連絡の上、履歴書を送付してください。
もしくはこちらのエントリーフォームより連絡後、履歴書を送付。
就職の相談も受付中です。このサイトより、応募され採用決定されたら、お祝い金¥20,000進呈!
ただし、このような考えなら応募しないでください
これまで書いた、会社の考え方、理念に共感できない方は残念ですがご応募できません。
基本的には、スタイリストに昇格できてから、美容師人生のスタートです。
人気のスタイリストになるまでには、新人から約5年〜10年かかります。
もしあなたが、現在20歳として、10年という時間は非常に長く感じることでしょう。
実はそんなことはございません。60歳まで働くとして、残り30年を美容師として生きていくのであれば、技術の習得や人間性を育てるための期間としては必要と考えています。
もしあなたが採用された時は、一生懸命に育てます。
よくある質問
追伸
ここまで、この長いページをご覧いただき、ありがとうございました。
出来るだけ、現状の姿を知っていただき、ありのままを公開したつもりです。
いい事ばかりを連ねて、イメージと違ったと思って欲しくは無かったのです。
普段から、私は素の自分をさらけ出すことを信条にしています。カッコつけないというか。いつも、もがいています。時に頼りないと思われることもあるかも知れません。ただ、変に背伸びして、偉そうに見せることがいいとは思えないのです。なので、ここでも等身大の自分で勝負したい。そう思いました。
もしあなたが、一緒に「もがいてみようか」と思われた時は、ぜひエントリーして下さい。
代表取締役 高倉秀樹